子供に喜びを教える
リンダ&リチャード・アイア夫妻著
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前 書 き
子供が生まれた時、私達二人は目標を探求し始めました。子供のために何を一番求めるか、子供に何を与えたいかを問い始めたのです。問題は、与えたいものがとてもたくさんあったことです。愛、安定、安心感、創造性、友好性、心の平安、自信、想像力、他人への心配り、個性、奉仕の心がけ、などなど。そのリストは長くなるばかりでした。
ところが、その突破口となるようなことがある夜起こったのです。その夜、大勢の親達に向かって話す機会を持った私達は、それぞれの夫婦に紙を手渡し、片面に子供の年を書いてもらい、裏側には、子供に一番与えたいものを一言で書いてもらいました。「子供のために何か一言で願い事をするとすれば、それは何でしょう?」
結果は、かなり注目に値するものでした。就学年令前の子供を持つ親はほぼ全員、同じ事を書き、小学生の子供を持つ親達の回答も、就学年令前の子供の親とは違っていたものの、全体的にほぼ一致しており、ティーンエイジャーの子供を持つ親も揃って、別の願いを持っていました。就学年令前の子供には、親達は幸せを望んでいました。小学生を持つ親達は、責任感を持つ事を望んでいました。そしてティーンエイジャーに対してはほとんどの親が、非利己的さ、奉仕の心、もっと自己中心的でなくなる事を望んでいました。
これが私達の「目的をもった子育て」プログラムの始まりでした。私達は意識的に、以下の目的を、この順序で取り入れる事にしたのでした。
0−6歳:子供に喜びを教える。
4−12歳:子供に責任を教える。
0桁0−16歳:子供に奉仕と、思いやりを教える。
これらが互いに重複するということは承知の上です。喜びには、責任を果たす喜びも含まれますし、奉仕には責任という要素もあります。でも私達は、焦点をあてるべきものが必要だと感じたのです。−−つまり、子供のそれぞれの成長段階において目指すべき、明確で、しっかりした、一つのゴールが必要であると。
この「子供に喜びを教える」は、私達の努力によって生まれたものであり、各章それぞれ、一つの「喜び」について書かれてあります。
たいていの親が直面する一つの問題とは、自分の成功度を測ることが難しいということです。親達は「基準」となる明確なゴールがないため、行動するというよりは、子供のする事に何とか対応していくだけで精一杯になってしまい、その上、親としての成功度を、自分がしばしば感じる欲求不満やいらだちという感情によって測ってしまうのです。
けれども、親が毎月一つの基本的な目標を持つなら、どの家庭にも訪れる一時的な危機には目を止めず、その月のゴールを定めた分野における子供の進歩を見ることができます。私達が皆さんに毎月一つの「喜び」を選ぶことをお勧めしているのは、こういった理由からです。
天真らん漫な、自然に沸き上がる喜び
ある日私は、昼食を取ろうと、人通りの多いボストンの街を一人で歩いていました。前を見ると一人の老人が物乞いをしています。「どうぞお恵みを。」 若いビジネスマンは「いや、すまない」と言って彼を降り払いました。忙しすぎるのです。乞食のところに近づいてきた私は、彼の顔を見ました。悲しみに満ちた老いた瞳の内に、彼の人格をかいま見た思いでした。「私と一緒に昼ご飯でも食べに行かないかね。」 ふと、その場の思いつきで、そんな言葉が出てきたのです。彼は驚いた様子でした。私も驚いてしまいました。いつもの昼食のことは忘れてしまうでしょうが、この昼食の事は忘れないでしょう。この打ちひしがれた老人は、信じられないような身の上話をしてくれたのですが、それを私に話す� ��は、彼にとって助けになり、私にとっても、彼の身の上話を聞くのは助けでした。別れる時には彼は腹一杯になり、誰かが自分の事を気にかけ、耳を傾けてくれたことで、一筋の希望を抱いていました。私も幸せな思いでそこを去りました。人助けをしたからというだけではなく、その場の思いつきで、自由に、わだかまりなく、何かをしたからです。
子供の観点
その時、私は自分の寝室にいました。18か月になるジョシュは、その真下にある、彼の姉の部屋にいます。初め、私は彼が泣いているのかと思いましたが、よく聞いてみると、それが何だかわかりました。彼は大きな声で、お腹をかかえて、天真らん漫に笑っていたのです。キッチンのほうから、姉達が妻のリンダと一緒にいる声が聞こえていたので、彼がそこに一人でいることはわかっていました。そこで私は様子を見てみようと、しのび足で階下に降りました。ドアの隙間から中をそっとのぞくと、ちょうど次の大笑いが響きました。ジョシュは私に背を向け、サレンのベッドに向かって座っています。すると、床まで垂れているベッドカバーが、突然もっこりとふくらみ、我が家の愛犬ラブラドール犬がベッドの下からぐうっと出てきたのです。目をキョロキョ� ��させてベッドカバーの下からもぞもぞと頭を出したバーニーのおどおどした姿は、ひょうきんで、ジョシュはあまり激しく笑ったので、横に転がってしまいました。それでもジョシュは素早くベッドの端の下にもぐり込み(バーニーがその後を追いました)、ベッドカバーの下からまたはい出て、くるっと振り返ると、バーニーがまた出て来る様子を見ていたのです。
ジョシュの笑い声に、私もつられてほほ笑みました。そして、自由な気分になりました。大人の笑いはしばしば皮肉っぽかったり、馬鹿騒ぎのようであったり、わざとらしかったり、冷ややかであることがあります。ところがジョシュの自然な笑いは、何千ものベルが鳴ったように、自由で、喜びに満ちた笑いとなって響きました。それは、幼い子供なら皆、持っているものであり、ほとんどの大人が失ってしまったものです。
教えかた
カギとなる方法は、励ましによってそれを促進することです。子供は、ほめられたことを繰り返すものです。
ある行動を励まし、良いものと認めるには沢山の方法があります。中でも一番良いのは、あなた自身も一緒にその行動に参加する事でしょう。
子供と一緒に興奮し、楽しみなさい。自分の洗練された態度など忘れてしまって、一緒に子供のようになって、感情をあらわにしなさい。子供が「ほら、見て!」と言ったなら、「わあ、すごい!」と言うのです。「ほらほら、落ち着くんだ。」とか、「こんな所でそんなことできないのよ。」などと言ってはいけません。
子供と一緒に天真らん漫になって、思いもしなかったような事を色々しなさい。「ジョシュ、ママは疲れているようだ。ママに昼寝をさせて、お前とパパで晩ご飯を作ろう」といった具合に。
とっさの思いつきを最優先させなさい。とっさに思いついた事に十分な価値を認め、少しぐらい不都合でも、それをするに任せるのです。暑い夏の午後に外を歩いているとしましょう。そして、あなたの2歳になる子供が初めて水溜まりに足を突っ込んで面白がっているのを見かけたとします。「こら、やめなさい!」と言って、ぐいっと子供をつかもうとする衝動をグッとこらえなさい。ゴム長靴をはかせ、水溜まり遊びをさせるのです。(または、自分も長靴をはいて一緒に遊んではどうでしょう!)
音楽が流れ、その気分になったら、立ち上がってちょっとダンスでもしたらどうでしょう。 わくわくする、思いがけない結果を生み出すような遊びをする。
ストローでシャボン玉遊びをする。(コップに石鹸水を入れるか、入浴の時に風呂おけでする。)
空になったプラスチックのビン、ストロー、じょうごなどで、水遊びをする。
シェービングクリームでフィンガー・ペインティングをする。子供達を滑らかな樹脂の台やテーブルの前に座らせ、一人一人の前に、スプレー式のシェービングクリームを少量出し、粉末のテンペラ絵の具の赤を少々振りかけます。子供に、指や手でそれをのばさせます。それから青と黄色のテンペラ絵の具をそれぞれ違った場所に少量降りかけ、色を混ぜるとどうなるかやってみさせましょう。
我が家の宝箱
我が家には「宝箱」があります。ただの古い木の箱に、色とりどりのきれいな色を塗って、大きな錠前をつけたものなのですが、子供は経験から、そこにはいつも思いがけないものが入っていると知っています。
一週間に一回か二回、何か特別な時かほうびを与える時に、ただ一人、錠前の番号を知っているパパがこの宝箱を開けるのです。たった一個のピーナッツバターボールや、松ぼっくり、またはテーブルを拭くのを手伝うための何でもないスポンジにさえ、子供がどんなに喜ぶかには、本当に驚かされます。宝箱の中から出て来る物なら何でも、思いがけない喜びを生むのです。
体で感じる喜びを教える子供の観点
以下は、我が家の3歳児と私との会話です。
「どうして体があると思う?」
「スキップするため!」
「スキップするため?」
「そうよ。」
「そうか。じゃあ、おまえの体の一番いいところはどこだい?」
「目。」
「どうして?」
「花が見えるから。」
「そう。」
「でも鼻も大事。お花のにおいをかげるから。」
「聞こえるかな?」
「聞こえない、でも、目をつぶると小さな音も聞こえるの。」
「たとえば?」
「風とか、木とか。」
「どんな音?」
「シューッ、シューッって。でも、もっと静かな音。」
「他に体で好きなところがあるかい?」
「舌。しゃべれるから。−−舌をつかむと、しゃべれないのよ。やってみて−−私の名前を言ってみて。」
「アウ、−−アゥーン。」
「ね!」(笑う)
「ショーニー、体があって幸せかい?」
「体は幸せよ!」
天真らん漫な喜びと子供特有の好奇心を持っているため、子供は自由に体で喜びを感じます。子供は申し分のない生徒なのです。しかし、それでもやはり教師が必要です。子供の感覚機能は揃っており、感覚を受け取りますが、喜びを感じるには、自分の感じたものを解釈しなければなりません。子供は大人よりも感覚が鋭いのですが、体で感じる喜びは、感じたものをどう理解するかにかかっており、そのために、教えることが必要になってくるのです。
教えかた
体の各部分の名称を学ぶ。
1.「サイモンが言いました」遊び。リーダーが様々な命令をする。「おなかを触りなさい。」「左足を上げなさい。」「目を閉じなさい。」 リーダー以外の人は、「サイモンが言いました」と言ってから命令が与えられた時にだけ、その命令に従う。
2.「ホーキー・ポーキー」遊び。参加者は輪になってこの文句の身振りをする。「左足を中に、左足を外に、左足を中にやって、ぶらぶらぶら。ホーキー・ポーキーをして、ぐるっと回って、さあ、おしまい。ヘイ!」 このような文句を、体の他の部分の名称を使って繰り返す。
3.厚手の厚紙で大きな体のパズルを作り、子供に組み合わさせる。組み合わせながら、子供は体の名称と、その部分の果たす役割を言う。
体を感謝することを教える。
1.「これ、なーに?」ゲーム。子供に目隠しをする。それからいろいろな物の音を聞かせたり、においをかがせたり、触らせたり、味見させたりして、それが何か当てさせる。面白い感触のもの(紙やすり、コットン、艶のある石)や、色々な音がするもの(ビンに入った水、箱に入った小石、ベル)、においの強いもの(香水、ポップコーン、ピクルス)、味の際立ったもの(砂糖、塩、ピーナッツバター)などを使う。
2.他の動物と比較して、人間の体を感謝することを教える。ゾウや、鳥や、リスのまねをする。−−何ができるか? 何ができないか? (2本足で歩く、指で物を拾う、話す、何かを持って歩く。) それから、植物のまねをする。−−何ができなくなるか? (ほとんど何もできなくなる。)
3.特定の物と、そのために使う感覚とを結びつける。横に6つの欄の並んだ表を作る。左から2番目から6番目までの欄に5つの感覚を書き入れる(見える、聞こえる、味がするなど)。そして、子供に何か物を選ばせ、一番左の欄にその名前を書かせ、その物から感じ取れる感覚をチェックする。例えば、風−−聞こえる、感じる。ホットドッグ−−見える、においがする、感じる、味がする。
4.それぞれのゲームの後でそれについて話し、喜びながら振り返る。「どの感覚を使うのか知るのは楽しかったね。」「音を聞き分けるのは面白いね。」などと。またゲームの最中、折りを見ては「面白いねえ。」「人間の体って、すごいんだね。」などと言うようにする。(注:これが、子供に喜びを教える上での一貫したカギです。喜びを味わっている間やその後、子供が喜びを喜びとして認識し、自分が喜びを感じている事を意識するよう助けるのです。そうするなら子供はまたそれを望み、次に喜びを感じた時に、その感情を喜びとして認識できるようになります。)
体の技能を使うことと、その発達。
1.ダンスと行進。軽く優雅なバレエ音楽から、重々しい兵隊行進曲まで、様々な音楽を使う。リズムがはっきりしていればいるほどよい。何にもとらわれずに、自由に動くように励ますこと。「天井を蹴ってみよう。」「風に揺れる大きな木みたいになろう。」など。
2.キャッチボールの練習。ボールを受けることができるという能力ほど、子供に肉体的な自信をつけさせ、満足感を覚えさせるものは、あまりありません。大きなフォームかスポンジのボールはキャッチしやすいので、最初のステップとして最適です。
3.ヒアリングゲーム。良く聞く音を録音し、子供の前でかける。何の音かわかるか、みてみましょう。たとえば、
ドアベルの音
ポップコーンがはじける音
泡を吹く音(石鹸水に入れたストローで)
水洗トイレの音
4.戸外障害物コース。できるなら、庭に以下のものを置いて障害物コースを作りましょう。
・2メートルから2.5メートルほどの長さで、5×10センチ角の木材を2つのレンガの上に置いて(端に一つずつ)、子供がその上を歩けるようにする。
・古いタイヤを列の並べ、その上か、穴の所を歩く。
・木と木の間にロープを張り、地面から20〜30センチの高さになるようにして、上をジャンプする。
・空気入りの大きなチューブに登る。
・大きなダンボール箱の片側を開けておき、もう片側または上に穴を開けて、子供がはって入り、出られるようにする。
創造力を働かせること。庭やガレージを見回し、何か付け足せるようなアイディアを探しましょう。子供が転んでもケガをしないように、使用する物には裂け目や、釘や、その他危険なものがなく、安全な場所に置かれていることを確認して下さい。子供には、押し合わないよう注意すること。全員、同じ方向に進むこと。
体の世話。
1.子供に2人の人の写真か絵を見せる。一方は体の引き締まった運動選手、もう一方は体調が悪く、筋肉のたるんだ人の写真。一方の人がしており、もう一方の人がしていないことを挙げさせましょう。例えば、運動、良い食べ物を食べる、体を清潔にする、良く寝るなどです。
2.「体に良い」食べ物と、「時々食べても良い」食べ物を区別させる。これにはフランネル・ボードがいるでしょう。フランネル・ボードを一本の毛糸で半分に分け、雑誌から食べ物の写真(カラー写真が最適です)を何枚か切り抜きます。それぞれの写真の裏にフランネルを貼り、フランネル・ボードに貼れるようにします。そして、写真を箱に入れます。
子供に、体を強め丈夫にする食べ物を言わせます。それから、おいしいけれどもあまり頻繁に食べてはいけない食ベ物(ケーキ、クッキー、その他の甘い菓子類)を言わせます。それから、このように言います。「この箱の中には、体にとても良い食べ物と、あまり食べすぎてはいけない、『時々食べてもいい食べ物』の写真が入っているから、フランネル・ボードのこっち側には健康に良い食べ物を並べ、あっち側には『時々食べても良い食べ物』を並べてごらんなさい」
自然を楽しむ喜び
自然は実に美しく、五感全部を使ってその美を感じることによって喜びが生まれます。私の知っていたある詩人は、彼の詩のほとんどが自然を題材としたもので、私が気づきもしないようなものを見る目を持っていました。彼の家の壁には、「五感の鋭さ」と書いた紙が貼ってあり、それについて尋ねると、「感覚の鋭さ」によって、思わぬ発見、思いがけず起こる楽しい出来事に巡り会うことができるということでした。感覚の鋭さというのは、敏感に物事を認識し、味わうことであって、五感全部をフルに使うことによってそれができるのです。ちょっと考えてみて下さい。物事を認識し、感じ取る事から、幸福感が得られるとは、驚くべきメッセージではありませんか。